「歩きを学ぶ意味」について✨〈LINE公式より抜粋〉
今回は、歩きの学びに求めることに対する考え方の一助になればと思って、書いてみます。
歩行に興味を持たれる方から寄せられる質問の中に、「歩きを学ぶとどうなるのか」「歩きを学ぶことで 何が得られるのか」ということが散見されます。
これ、けっこうトレーナーの方から頂く質問なのですが、ちょっと辛辣な物言いになるかもしれません が、
私から見れば、「トレーニングを学ぶとどうなるのですか?」「トレーニングを学ぶことで何が得られ るのですか?」と同じだと思います。
いや、根本的なところで同じではないのですが。
トレーニングをした結果、ダイエット成功、シェイプアップ成功、ビルドアップ成功、姿勢改善成功、体 力アップ成功したとしましょう。
「で?」
「それで?」
そのあと、その成功した方はどうなってしまうのでしょう。
そもそも、ダイエットも、シェイプアップも、ビルドアップも、姿勢改善も、体力アップも、何のためだ ったのでしょうか。
私は常々「その先」を考えています。
トレーニングで得られた先にはどんな世界があるのでしょうか。
クライアント様の多くは、多分、いや、確実に「より豊かで幸せな日常」を、今まで以上にお洒落を楽しんでいる風景や、より自由闊達に活動している自分として脳内イメージを膨らませているのではないかと思います。
さて、そのお洒落をしているイメージ、自由闊達に活動しているイメージなど、その様々な実現したいイ メージの中で共通して行われていることとは...もちろん「優雅に自由に元気に笑顔で歩き回っている姿」なのではないでしょうか。
お気付きでしょうか。
トレーナーの方々が商品にしている先述のトレーニング目的及びトレーニング効果の中には、もはや土台として歩きがセットされているわけです。
歩き=生きる。
二足歩行=人間という動物の最大特徴。
多くの人が常に望んでいること=人生の最後まで自分の足で歩き続けていたい。
日常もスポーツもコンテストも、全て立つ歩く座るという基礎運動の豊かさの上に成り立つこと。
はじめの質問に戻りますが、「歩きを学ぶとどうなるのか」
...これは、すみませんが私の中では愚問です。
歩きを学んでからトレーニングと再び向き合うのか、トレーニングを学んだだけで歩きを眺めているの か、歩きをトレーニングと別カテゴリーの運動と捉えているのか、これって判断違うと、仕事と生き方の 大きな分かれ道になります。
この意味は、歩きとしっかりと向き合わないと見えてきません。
少なくとも、例えばコンテスト用の歩き にこだわるだけでは、真の豊かさは得られないと思っていただきたいです。
姿勢も歩きも、綺麗になるから、健康のため、幸せのためなどという大雑把なイメージでごまかしていては、これは大いにもったいない。
哲学、進化学、歴史学、解剖生理学、運動学、動物学、文化学...私の中でこれらは、姿勢や歩きを語るう えで必要な学びの要素だと捉えています。
なにしろ土台となる基礎運動ですので、単に運動的理解だけでは足らないのです。
正直、大変です。
だからこそ、不効率なことを繰り返して時間を過ごしてしまった経緯もありながら、これらを網羅してきた中でお伝えしたいことをまとめて、ようやく今になってお伝えさせていただいております。
私が見つめてきた膨大な時間を、少しでも効率よく使っていただき、この人間文化の根底となる分野を、より豊かなものにしていっていただきたいと、常々願っています。
よろしければ、いつでもお声がけください。こうしてお伝えできることに、心から感謝しております。